福島視察ツアーを開催しました
群馬県生協連と群馬県消団連では、12月7日(木)に福島復興支援の一環として「福島視察ツアー」を開催し、「震災遺構 浪江町立請戸小学校」と「東日本大震災・原子力災害 伝承館」を見学しました。参加者は事務局を含め15名でした。
当日は天気が良く、12月としては暖かい日でしたが、伝承館の研修であるフィールドワークの時だけ雨に降られました。
行きの道のりでは、参加者の自己紹介と合わせて震災当時のエピソードや被災地への想いを語り親交を深めました。
震災遺構 浪江町立請戸小学校
請戸小学校は太平洋に近い場所にあり、津波は2階床上にまで達しました。周辺の住宅はすべて津波に流され、唯一請戸小学校の校舎が残りました。震災時に学校にいた教職員、生徒は、すぐに大平山に向かって避難しまししたが、田んぼのあぜ道や山中の獣道を通る過酷な道のりでした。励まし合いながら避難し、奇跡的に犠牲者はいませんでした。
しかし、学校に子供を迎えに来た保護者の中には、犠牲になった方がいたとのことで、万一のために、家族で集合場所を決めておく重要性を感じました。
当日は天気が良く、12月としては暖かい日でしたが、伝承館の研修であるフィールドワークの時だけ雨に降られました。
行きの道のりでは、参加者の自己紹介と合わせて震災当時のエピソードや被災地への想いを語り親交を深めました。
震災遺構 浪江町立請戸小学校
請戸小学校は太平洋に近い場所にあり、津波は2階床上にまで達しました。周辺の住宅はすべて津波に流され、唯一請戸小学校の校舎が残りました。震災時に学校にいた教職員、生徒は、すぐに大平山に向かって避難しまししたが、田んぼのあぜ道や山中の獣道を通る過酷な道のりでした。励まし合いながら避難し、奇跡的に犠牲者はいませんでした。
しかし、学校に子供を迎えに来た保護者の中には、犠牲になった方がいたとのことで、万一のために、家族で集合場所を決めておく重要性を感じました。
(写真上)
震災前の模型では、請戸小学校周辺に家屋がありますが、津波で流されてしまいました。
震災前の模型では、請戸小学校周辺に家屋がありますが、津波で流されてしまいました。
(写真左)
教職員と生徒の避難経路。田んぼのあぜ道を通り、整備されていない大平山を越えて、避難しました。
津波は写真右の中央部にある青い看板まで達しました。
その後、原子力発電所の爆発により、浪江町民は町外へ避難しなければなりませんでした。
その後、原子力発電所の爆発により、浪江町民は町外へ避難しなければなりませんでした。
東日本大震災・原子力災害 伝承館
伝承館では、最初にシアターで〝災害を自分事としてとらえる〟〝経験と教訓の未来への継承〟メッセージ動画視聴した後、館内を見学しました。
展示コーナーでは、震災前⇒震災時⇒原発事故⇒避難生活⇒復興に向けた活動と、時系列に状況を確認することが出来、動画が視聴できるモニターも数か所設置されていて、当時の状況を確認することが出来ました。また、各所に係員がいて展示物の説明を聞くことが出来ました。
施設見学後、フィールドワークとして、伝承館のガイドがバスに乗車して浪江町や双葉町を巡り、行く先々で当時の状況などの説明を受けました。しかし、強い風雨のため、バスから降りることが出来ず、乗車したままの見学となりました。
かつて田畑だった場所は雑草が伸び放題となっていて、いのししなど野生動物の住処になっているところもあります。また、帰還困難地域は、建物はあるのに無人の住宅街となっており、避難解除となった地域でも多くが空き家となっていました。
震災から12年が経ちますが、元の生活には程遠い状況で、あらためて原子力災害の恐ろしさを感じました。
この施設では語り部の講話も行っていて、震災当時請戸小学校に生徒として通っていて避難した方も語り部として努めていますが、今回は、時間の都合で聞くことはできませんでした。
(写真右)避難して人が住まなくなった家は、猪などの野生動物に荒らされました。ふすまは破られ、缶詰は噛み開けられています。